鍼灸医学の起源

 鍼灸(しんきゅう)医学は中国医学の重要な構成部分であり、その起源と形成は中国原始社会での生活の中から少しずつ蓄積されたものです。
 その理論体系は春秋戦国時代(紀元前770〜222年)にその原型が出来上がり、現存するもっとも古い『馬王堆帛書』という書物が集成されました。
 なかでも『黄帝内経』は「素問」「霊枢」の二部18巻162篇によって構成されており、現在でも中国医学の重要な理論的基礎となっています。

日本における鍼灸医学の変遷

   日本に中国医学が伝わったのは、遣随使が派遣される以前の562年に、呉の知聡が『明堂図』等160余巻を持って日本に来たことによります。
その後中国に留学する日本人、あるいは中国から渡来する人(鑑真和尚等)、書籍の伝来などの交流があり、日本における中国医学の臨床と研究は飛躍的に進みました。
江戸時代には鎖国政策により中国との交流が制限される中で、日本人に合わせた細い鍼や刺激の少ない鍼管等、日本独自の鍼灸方法が開発されます。しかし、特権としての一門意識、派閥意識により大衆性が失われて行きました。

やがてオランダ医学が台頭する時代を迎えます。
中国医学は漢方医学(湯液学)と鍼灸医学に切り離され、徐々に検校制度のもとで視力障害者の職業教育へと変化していったのです。

明治時代に日本の医学の今後について、西洋医学と中国医学との兼ね合いをどうするかということで、「脚気」の治療でその優劣を競うこととなりました。その結果、中国医学は西洋医学より優れた成果を生み出したのです。
しかし、治療法が門外不出という鍼灸医学の閉鎖性や、コレラ等の感染症に対する西洋医学の優位性、
また、「戊辰戦争」「西南の役」等で軍事医学としての役割が西洋医学に比べ劣っていたことにより日本の公的医学から排除されてゆくことになったのです。

西洋医学もまた、オランダ医学からイギリス医学、そして文豪で軍医総監を勤めた森鴎外によりドイツ医学へと変遷してゆきます。
鍼灸医学はその後、視力障害者の職業教育としての役割を維持するため、限られた一部の人々の手によって細々と行われます。

1945年の敗戦後マッカーサーが鍼灸は野蛮な医学だということで禁止令を検討した時期さえあります。


鍼灸医学の復興

 1967年、中国から衝撃的な鍼痲酔の成果が日本に伝えられます。
 その後1972年アメリカ大統領ニクソンの訪中の際、随行記者レストンが鍼治療を受けました。その様子が世界中に報道され、鍼灸医学に対する関心が世界的に高まり、多くの人々が鍼治療を見直すことになります。
 日本でも鍼灸治療に興味を持つ人が増え、鍼灸治療を受ける患者さんが多くなり、鍼灸の道に進む人もたくさん増えました。
 国際的な学術交流も再び活発に行われるようになり、鍼灸の研究も盛んに行われるようになりました。また、中国に留学し中医薬大学などで本格的に中国医学を勉強する日本人も増えてきました。

鍼灸医学の新たな時代を迎える

西洋医学では症状があるのに、検査しても数値としての結果が出ないので病気として認識できない事が良く有ります。
こうした西洋医学の限界に対して、総合的に人間の身体を診る鍼灸医学が医師の間でも見直されています。
また、少子高齢化が加速し、医療費が国家予算を圧迫する今、代替医療を考える風潮がおおいに盛り上がっています。
鍼灸医学が見直され、期待され、学校が増加し、多くの若い人々が鍼灸学校で学ぶ様になりました。 
こうした鍼灸を取り巻く新たな時代を迎え、鍼灸師の質の向上が叫ばれています。
しかし教育体制は旧態依然の状況が多く、鍼灸師の質はあまり向上していない一面もあります。
鍼灸界がこれまでのように、流派や古い体質にとらわれていては、学生が鍼灸を勉強できる状況はなかなか整いません。
患者さんのため、閉鎖性を捨て、良いところを学び取り入れるというオープンな研究体制が望まれます。






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